人を排除したくて殺す気持ち
あいつなんかいなくなればいいのに、と思う時がある。
つかの間だが相手を殺す自分を想像すると胸がすかっとする。
消えてしまえばいいのにと思う人間の一人や二人は誰しもいることだろう。
自分は昔、咄嗟にある身内のことが許せなくて殺したくて仕方がなくなった。
大丈夫だ、やれば出来る、やってしまおう、
殺したい、殺せない、いや、殺せるさ、出来るさ。
本当に体がぶるぶる震えていたので、
母親の使っていた100円剃刀の刃を使っていないノートの上で何度も引いた。
力を込めれば込めるほど刃は紙に食い込み、深く刺さった。
強く強く後ろに引くと白いページに幾本もの鋭い切れ込みが出来た。
ノートの裏の机に傷がついた。それを相手の頬に見立てた。
ズタズタになって血が流れるところを想像した。
そうする間にやっと、怒りが収まってきた。
その後、大変恐ろしいことをしたと思ったし、
実際に相手めがけて何もやらずに済んだからこれで良かったのだとホッとした。
両親が公務員で何不自由無く育った小学校低学年の女子でも
そのくらいに人を憎むことがある。
まして世の中に、あいつさえいなければという思いで
人を殺す人間がいるのは当然のことだろう。
とは言え小学校低学年でもその殺意をアブナイと感じて
他所に反らすことを考えるのだ。
その気になれば殺せる自分でありたいと強く望みつつも、
殺したくない自分の方が正しいと知っているのだ。
我慢出来なくて実際に殺してしまうやつってのは
よっぽど腹に据えかねることがあったのだろうなあ。
小学生が我慢出来ることを我慢できないのだから。